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【アラベスク】  第10章 カラクリ迷路



第2節 土曜日のギャンブル [16]




「まぁ 生意気」
 フンと鼻を鳴らし、詩織は視線を綾子へ移動させる。
「久しぶりなのに、美鶴が迷惑掛けてごめんね、ママ。本当はもっと楽しく再会したいところなんだけど――― ママ?」
 詩織は肩を竦めながら謝り、だが途中でその異常さに気付いて言葉を切った。
「ママ?」
 だが相手は、詩織の問い掛けにも無言。見開いた瞳を今度は詩織へ向け、口を開き、大きく息を吸ってから呟くように言葉を吐いた。
「父親、(わか)ったの?」
 その言葉に、今度は詩織が絶句する。二人の座るソファーへ向けていた足を止め、腰に当てようとしていた右手を中途半端に曲げたまま、口も半開き。
「え?」
 それは本当に擦れるような声。
 何?
 美鶴は二人の顔へ交互に視線を投げる。
 父親が、判った?
 父親が判った?
「判ったって、どういう事?」
 美鶴の言葉に、だが二人とも美鶴を見ようとはしない。
「判ったって、どういう事よ?」
 今度は綾子が視線を動かす。だが、美鶴へは向けず、彷徨わせるようにあらぬ方角へ。
「ママ?」
 だが答えない。美鶴は母親へ目を向ける。
「判った?」
 詩織と目が合う。全身から、血の気が引いた。寒気に身震いがする。
「私のお父さん、誰だか判らないの?」
 詩織が視線を外した瞬間、寒気は熱気に変化した。腹の底から何かが一気に競りあがり、沸騰するように、爆発するように脳天から噴出す。
「どういう事? 何それっ? 私のお父さん、誰なのか判らないの?」
 詩織は、視線を合わせようとはしない。
 信じられないっ! 自分の母親は、そこまで穢れた人間だったのかっ!
「誰だかわからないくらい相手にしてたワケっ? サイテーッ!」
 怒りを撒き散らすように怒鳴る美鶴に反応したのは、詩織ではなく綾子だった。
「違うのよっ!」
 立ち上がる。
「違うのっ」
 美鶴に覆い被さるようにしてその両肩に手を置く相手。
「何が違うんですかっ?」
 相手が第三者だとわかっていても、湧いた怒りを納める事はできそうにない。両手を邪険に払いのけられ、棘を含んだ美鶴の言葉に綾子は息を呑んだ。自分の行為に一瞬引いた相手の表情を見逃さず、今度は美鶴が勢いよく立ち上がる。
 立てば美鶴の方が背は高い。至近距離で向かい合うと、綾子は本当に押しつぶされてしまいそうなほど些細な存在だ。
 小柄な女性。痩せていて、とてもこんな店一つを手にしている人間とは思えない儚げな相手が、小さな声を出す。
「違うの」
 声が震えている。そんな相手が、低い位置から美鶴を見上げる。
「詩織ちゃんは、そんなんじゃないの」
 まるで(すが)るような綾子の声に、被さるような声。
「いいのよ、別に」
 詩織が会話を遮る。いや、綾子と美鶴の間には、会話などは成立していなかった。詩織は、綾子の言葉を遮ったのだ。
「ママ、いいの」
 見ると、詩織は二人とは少し離れたソファーにドッカリと腰を下ろしている。少し気怠(けだ)るそうに身を埋め、うんざりとしたように二人を見つめる。
「いいのよ。これは私の問題なんだから」
 その態度に腹が立った。
 厄介な事に巻き込まれたなと言いたげな声音。美鶴がどれほどの決意を持って岐阜に来たのか。その欠片をも汲み取ってはくれない言い草。自分の問題だと言いながら、まるで自分には関係ないと言いたげな態度。
 すべてが許せない。
「冗談じゃない」
 そうだ。冗談じゃない。
「お母さんの問題? 冗談じゃないっ! これは私の問題よ。私のお父さんの事なんだから、私には知る権利がある」
 綾子へ向き直る。
「そうでしょう?」
 問われ、綾子は視線を泳がせ、最終的には詩織へ向ける。
 その視線を受けて、詩織は顎をあげた。
「私に読まれるような単純な行動しか取れないクセに、ずいぶんと生意気な口を利くのね」
 肘をソファーの背に乗せ、掌で額を覆う。
「もっとも、私もかなり生意気だったけどね」
「お母さんと一緒にしないで」
「生意気なうえに、失礼ね」
「話を逸らさないでよっ!」
 右足で床を叩く。
「お母さんみたいな汚い人間に、隠し事する権利なんてないのよっ!」
「汚いなんて言わないで」
 綾子が必死に遮る。それを今度は詩織が遮る。
「ママ、いいのよ」
「詩織ちゃん」
 切羽詰ったような綾子とは対照的に、詩織の態度はずいぶんと大仰だ。
「知りたいって言うんだったら、いいんじゃない?」







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